講評

作中ではペガッサ星人はとても友好的な宇宙人として描かれており、実際モロボシやアンヌと楽しく団欒したり、ギリギリまで地球破壊爆弾の使用を留めるという温和な面を見せている。
地球人側もペガッサ星人を地球に迎え入れるため、ペガッサ市爆破まで粘り強い交信を見せた。
(作品ではペガッサ市と交信が取れなかった理由については触れられていないが、これは動力源の事故によりすでに都市としての機能が停止していたからであろう。これは、ホーク1号がペガッサ市に接近したにもかかわらず何の音沙汰も無かったことと、高度な科学力を持つペガッサ市が地球のミサイルを迎撃できなかったことを考えると明らかである)
両者の歩み寄りにもかかわらず、ペガッサ市は悲惨な結末を迎えてしまうわけだが、これはペガッサ、地球の両者がギリギリの努力をした上での終着点であったと見ることもできよう。


この反面、当初は友好的に交渉するものの、それが無理だと分かるとなると相手を皆殺しにしてでも自分たちが生き残る道を選ぶという地球人・ペガッサ星人両者の利己的な側面も指摘できる。
けだし、いかに社交的で柔和な者でも、根本的にはこのような自己中心的な残虐性を秘めているのではないか。


また、ペガッサ星人の地球に対する情報の乏しさも問題点として挙げることができる。
地球の軌道が変更できないことを知らなかったことや、地球がペガッサ市を破壊できる能力があることを知らなかったことも糾弾されるべきことがらである。地球に移り住んでからペガッサ市を破壊するという選択肢もあったかもしれないのだから。
私は地球側にはこれといった問題点を見出すことはできなかったが、それでもペガッサ星人を一人を除いて全滅させてしまったことは軽からぬ罪であると言えよう。


この作品はウルトラセブンの中でも名作の部類に入ると仄聞したが、なるほど非常に考えさせられるものがある。
見る人によって切り口はそれぞれであろうが、みなさんもこの作品を見る機会があれば、是非この作品から何らかのメッセージを感じ取って欲しい。